MASAOの彩り備忘録

普段の何気ない日常を切り取って、モノクロの毎日に彩りを添えていきます♪

【ワクセルコラボレーター】御堂裕実子さんの信念、日台関係の進化を導く

出典:御堂 裕実子 | ワクセル Official Web Site

こんにちは、MASAOです。
「日常に彩りを」をコンセプトに、日々の出来事を綴っていきます 。

 

今回の記事は映画から離れて、久しぶりにワクセルのコラムをピックアップします。

ワクセルコラボレーターである御堂裕実子さんの下記のコラムについて、まとめていきます。ちなみに、御堂さんをGoogle検索をするとたくさんのサイトがヒットしましたが、Wikipediaはヒットしませんでした。余談なんですが、Wikipediaって不特定多数の共同作業によって更新され続けているインターネット上の百科事典ですよね。歴史上の人物や偉人、ある程度の影響力がある人であればWikipediaに載っているので、自分の影響力を推し量るモノサシにもできそうですね。

waccel.com

そもそもこのコラムが目に入ったのは、現在のワクセルのコラムの2ページ目までに「台湾」関連のコラムが3つもあったからです。台湾といえば、ジブリ映画である『千と千尋の神隠し』のモチーフになったと言われている九份などが有名ですね。

日本からも近く、観光地としても人気で、ボクの周りの友人も行ったことがある人が多い一方で、さまざまなメディアで数年先には台湾有事が起こるとも言われており、複雑な国であることは間違いないでしょう。

身近だけどあまり知らない台湾について、この記事を通していろいろ勉強したいと思います。

日本の南西に位置する台湾とはどのような国なのか?

台湾(正式には中華民国)は、東アジアに位置する島国ですね。

実は、1895年に日清戦争で勝利して、台湾が日本に割譲されて植民地となってから、第二次世界大戦で敗戦をした1945年までの50年間は日本が統治していました。

1949年10月1日に、国共内戦に勝利をした中国共産党国家主席である毛沢東が、天安門広場にて中華人民共和国の成立を宣言しました。と同時に、敗北した国民党は、台湾に撤退して、中華民国として独自の経済発展と民主化を進めてきました。

台湾は独自の政府を持ちながら、中華人民共和国(中国)は台湾を自国の一部と主張しています。そのため、台湾の国際的地位や一国二制度の問題など、政治的な複雑さが続いているんですね。

「アジアの四小竜」である台湾の経済成長

台湾は「アジアの四小竜」とも呼ばれ、1960〜1980年代に急速な経済発展を遂げました。特に、半導体産業が非常に盛んで、TSMC(台湾半導体製造会社)など、世界をリードする企業が多数存在します。

個人的には料理が美味しいという印象はありましたが、劇的に経済発展をしている印象は無かったので、この辺りも少し調べてみました。

1、農業改革

1950年代、台湾政府は土地改革を実施し、大地主の土地を買い取り、それを小農に分配しました。この改革によって、今後の生活が改善され、農産物の生産性が向上しました。

2、基礎インフラの整備

台湾政府は初期の段階で基盤の整備を重点的に行いました。これにより、企業の設立や生産活動がスムーズに進められるようになりました。

3、輸出志向型産業政策

1960年代から、台湾は輸出を奨励する産業政策を採用し、輸出加工区を設置しました。これにより、外資が投入され、製造業が急速に発展しました。

4、教育と技術育成

台湾は高度な教育機関の整備と人材育成に力を入れ、国際的な競争力を持つ技術者や研究者を多数輩出してきました。「台湾のコンピューター界における偉大な10人の中の1人」と言われているオードリータン氏などが有名ですね。

5、半導体産業のリーダーシップ

1980年代から1990年代にかけて、政府は先進的な半導体産業の育成を重点的に取り組みました。 特に、TSMCのような企業は、ファウンドリー業界のリーダーとして世界中で知られるようになりました。

6、外資導入と市場開放

台湾は、外資導入を奨励し、国際的なビジネス環境を整えてきました。これにより、多くの外国企業が台湾に進出し、経済活動が注目されました。

7、地政学的位置

台湾の地理的位置は、アジア市場へのアクセスに関して戦略的に有利です。中国大陸や東南アジアとの取引が容易で、これも経済成長をサポートしてきました。
台湾の経済成長は、これらの優先政策によって後押しされ、当面での高度経済成長を達成する。現代でも、台湾は特に半導体産業を中心とした世界経済での重要な役割を果たしている。

台湾はなぜ親日なのか?

上記でも記載しましたが、国共内戦に敗北する前は中華民国として一つの国だった台湾は、なぜ中国と違い親日なのでしょうか。ここも考えたことがなかったので、調べていきます。

日本統治時代のインフラ

日本は1895年から1945年までの50年間台湾を統治しており、この期間に台湾のインフラが大幅に整備されました。鉄道、道路、港湾、学校、医療施設などが建設され、これが後の台湾の発展の基盤となりました。多くの台湾人がこれを評価しています。

教育

日本統治時代には公教育が行われ、多くの台湾人が日本語教育を受けました。そのため、一部の高齢者には日本語を話せる人もいます。文化や価値観が広まったことも影響しています。

文化交流

台湾は日本のポップカルチャーに大変親しんでいます。アニメ、映画、音楽、ファッションなど、多くの台湾人が日本文化を楽しんでいます。観光や留学も、多くの台湾人が日本との繋がりを感じています。

政治的背景

中国との関係が緊張感を高めている中、台湾は独立志向を強めています。この過程で、中国との対立軸として、日本とアメリカとの友好関係を重視して取り組んでいます。

日本と台湾の架け橋をつくる御堂裕実子さんの取り組み

ここまで台湾について調べてきました。

ワクセルコラボレーターである御堂裕実子さんは、旅行を通じて台湾の魅力に触れ、「日本と台湾を両思いにしたい」と思い立ち、事業の道に進まれました。

実際に、台湾も国として外資を広く受け入れる体制を整えていたので、御堂さんの事業を加速させる要因になったのですね。

また、ワクセル主催の嶋村吉洋さんも歴史がとても詳しいです。人間の本質は大きく変わらないからなのか、歴史から人の本質について学び、それを事業にも取り入れていると伺ったことがあります。歴史を学ぶって楽しいですね。

以上、台湾について理解を深めたMASAOでした。