MASAOの彩り備忘録

普段の何気ない日常を切り取って、モノクロの毎日に彩りを添えていきます♪

捉え方を変えれば上手くいく?!ワクセルトークセッション河合紫乃さんとの対談からとても勇気をもらいました

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出典:バドミントンから車いすフェンシングへ!美人アスリート河合紫乃さんの笑顔の秘訣

こんにちは、MASAOです。

「日常に彩りを」をコンセプトに、日々の出来事を綴っていきます 。

 

今回は、バドミントンの社会人リーグ選手から、障害をきっかけに車いすフェンシングに転向し、現在は車いすフェンシング日本代表として活躍している河合紫乃さんについての記事になります。

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ワクセルトークセッションの記事を読んで感想になりますが、河合紫乃さんの物事の捉え方や生き方を通して、自分自身が非常に奮い立つ内容になっています。さまざまな課題に直面しているビジネスパーソンに読んでいただければいいなと思っています。

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スポーツと共に歩んできた河合さんの人生を振り返る

河合さんはもともと小学生の時からバドミントンを始め、富山商業高校時代には全日本ジュニアで第5位に入賞。その後は法政大学に進学し、団体競技で2度の「学生日本一」にもなり、順調に実績を積み上げていました。

大学1年生の時に右股関節を怪我をして、『股関節唇損傷』と診断されたそうですが、大きな手術を成功させて、リハビリを経て選手に復帰。怪我の影響で大学生活4年間のうち、実際にバドミントンに打ち込んでいたのは約2年間ですが、それでも上記の実績を残して大学卒業を迎えます。

大学卒業に伴い、河合さんにとっての大きな岐路を迎えます。

バドミントンを続けるか、バドミントンをやめるか、、、。大学時代の不完全燃焼もあり、悩んだ末にバドミントンのS/Jリーガーとして北國銀行に入行。バドミントンを続けるという選択をしました。

 

なんとその1年数ヶ月後に、河合さんは悲劇に見舞われます。

 

歩くことも、座っていることもできなくなるくらいの激痛が、両股関節を襲ったのでした。しかも、そこから約1年4ヶ月ほど入院し、4度の手術を繰り返すも、症状は改善されなかったそうです。トップアスリートだったことを感じさせないくらい痩せ細り、まさに心身ともに衰弱していきます。

 

どれくらいの絶望が河合さんを襲ったのかは検討もつきません。。。
しかし、河合さんの凄いところは、そこから自力で再起を誓ったことだと個人的には感じます。そして、そのきっかけは過去に「一緒に東京五輪に出よう」と約束した後輩が、まさに東京五輪の候補にノミネートされていたことだったそうです。

 

「自分の人生にはスポーツが必要だ」

 

車椅子フェンシングという競技を選んだ理由とは?

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上記のワクセルトークセッションの記事では「ノリ(笑)」と記載されていますが、そんなことはなさそうです。後輩の活躍を見た河合さんは「とにかく、もう一度スポーツで輝きたい」と思い、バドミントンと同じく対人競技で、駆け引きがあるという点で、車いすフェンシングを選びます。

また、通常車いすを使って行う競技は「チェアワーク」といって、車いすを上手に扱うスキルが求められます。しかし、車いすフェンシングは車いすを固定して行う競技のため、障害者になって日が浅い河合さんにとっては純粋に競技で勝負できるという点も決め手になったのではないでしょうか。最終的には、東京パラリンピック車いすフェンシングの選手を募集していたというタイミングもあり、バドミントンから車いすフェンシングへの転身を決めます。

 

上記のような背景があり、河合さんは2018年9月に車いすフェンスングをスタートして、約1年後に日本代表に選ばれます。

 

個人的には、河合さんの強さは物事に捉え方にあると感じています。

もともと健常者である河合さんは、健常者が障害者に持つイメージがどういうものなのかは大体分かっていました。「かわいそう」とか「お気の毒に」という負のイメージが大半です。

実際に、自分のことを「かわいそうな私」と思っていたことはあったと思いますが、障害がなくなることはないので「まぁいいか」と受け入れることにしたそうです。

 

考え方を変えざるを得ない状況が功を奏したということでしょうか。

 

自分自身を受け入れることで「障害者のわたし」にも慣れ、むしろこの身体でなにかをしたいというふうに考えるようになって、笑顔がだんだん戻ってきたそうです。

今回のワクセルのトークセッションもそうですが、障害者になってからさまざまな人と会う機会が増えて、たくさんの経験につながっているからこそ、いまがとても楽しいと思えるようにもなったそうです。

 

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また、「スポーツ・オブ・ハート」というイベントに参加している河合さんの動画を発見しました。そして、なんとこのイベントを企画運営している一般社団法人スポーツ・オブ・ハートの名誉理事である廣道純(シドニーパラ800mメダリスト)さんも、ワクセルコラボレーターですね。

s-heart.org

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別の記事で廣道さんのことも取り上げようと思います。

捉え方の真骨頂!何事も成功に変えるから失敗はない

障害者になったことをきっかけに捉え方を変えた河合さんは、たくさんのことにチャレンジしています。

実は河合さんは車いすフェンシングの日本代表であると同時に、モデル業も行っています。障害者でもポージングを取れるということを証明するために、モデル業にチャレンジしたそうです。また、東京タワーの約600段の外階段も44分で登りきり、いまなおアクティブに動き続けています。

 

「障害者になってしまったから」となにかをできない理由にするのではなく、「障害者のわたしがチャレンジをすることでたくさんの人に勇気を与えることができる」ととても前向きに行動する姿勢に本当に心打たれますし、自分ももっとチャレンジできることがあると背筋がとても伸びます。

現在は2024年にあるパラリンピックに向けて最大限のチャレンジしている河合さんにこれからも注目していきたいと思います。

そして、挫けそうになった時は「河合さんならどう解釈して、どう行動していくかな?」と考えて自分自身もチャレンジの人生を歩んでいきたいと思います。

以上、MASAOでした。